妄想富豪

毒にも薬にもならんゲームに対する雑記。twitterはhttps://twitter.com/goodgoodgo

【METAL GEAR RISING REVENGEANCE】「斬る」快感と罪悪感のドラマツルギー

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メタルギアライジングはスニーキングアクションで有名なメタルギアソリッドのサイボーグニンジャにフォーカスしたもので、もっとアクションの方に振った作品。
Z.O.E.アヌビスみたいなスピード感を伴う気持ちのいい動きで敵を斬りまくる。
鬼武者なんか比じゃないくらい斬りまくる。
ルパン三世の五右衛門のごとく敵でも物でもバッサバッサ斬っていけます。

 

序盤でいきなりでっかいメタルギアが最初に出てきたあたりの演出がいいなぁと。
いままでのメタルギアシリーズでは到底かなわなかったメタルギアをバッサバッサ斬っていく。
今作は純正アクションですよってのが説明がなくても一気に流れ込んできました。

 

さて、以前紹介したノーモアヒーローズと戦闘のデザインは似通っていて、ボタン連打でのコンボ後、決め技がwiiリモコンを振るのか自由斬撃システムなのかの違いです。
という訳でまずは気持ちのよかったアクションの側面から見ていきたいと思います。 

 

自由斬撃の気持ちよさ

今作の特徴的な自由斬撃システム。
アプリにもスイカを斬るような斬撃ものがありますが、斬ることしか出来ない箱庭ではなく、オープンな世界の中にこれを取り入れたところにやはり楽しさがあります。 

この自由斬撃システムは要するにマトリックスなどで使用されたハイスピードカメラを使ったバレットタイムの剣戟版。
これはむやみやたらに発動できる訳ではなく、三国無双のようなコマンド連打型のアクションの途中途中で挟むチャンスが生まれることで、不自由なアクションとの対比から自由に切り刻める快楽が増加してます。
「□マークで斬る箇所の指定」「部位を綺麗に切断することでポイント取得」といった要素を入れることで、やたらめったら斬るだけでない緊張感も生まれてゲーム的な快感も得られるように工夫されていますね。
また、斬った後の敵から補給ユニットを奪うという行為や「斬」の大きな文字が表示される演出が「戦隊モノの倒した後に敵ボスが爆発する」や「五右衛門が刀を納めたらバラバラに分解する」などの能における見得を切るような気持ちよさを演出していて、しっかり斬ることのかっこよさが伝わるものとなっていました。

加えて、自由斬撃の演出の両輪の片側としてニンジャランがあります。
操作としては自由斬撃に直接影響しませんが、ニンジャランの「速さ」が自由斬撃モードの「遅さ」との対比になっており、
相対的に気持ちよさが増します。Z.O.E.のようなジェットコースター型の楽しさとハイスピードカメラの時間操作がうまくかみ合っています。
少し話しがそれますが、ニンジャランを考えたのはすごいかと。
今作ではプレイヤーは斬りたいのであって、段差をよじ上ったり、トンネル内を這いずったりと、マップを探索したい訳ではない。
そこをすぱっとワンボタンで、コンセプトからぶれさせないように解決したのはよいシステムですね。

さらに、シノギシステムというのものが加わり、さらなる対比を生みます。
シノギとはいわゆるパーリィで、敵の攻撃を受ける瞬間にガードするとすぐに自由斬撃に入れるというシステム。
バシッと弾くまでは我慢、そこからバッサリいきます。硬い敵でもこれを使うことで爽快に切り刻んでいけます。
ボスは攻撃を覚えてシノギをどれだけ決められるか、斬撃を的確にマークにあわせられるかというのが主なプレイになっていました。

これらの「不自由」と「自由」の対比、「速さ」と「遅さ」の対比、「我慢」と「開放」の対比。
3つの対比関係が斬るアクションをブラッシュアップしています。

 

罪悪感を積み立てる演出

三国無双って出撃毎に千人近くの人を殺しているのに「そなたこそ真の三国無双なり!」などの鼓舞するセリフと「虎牢関陥落!!」などという敵に打ち勝つ方向にゲーム内評価を振っていて、「気持ちいい」という感覚しか残らないように調整していますね。

このゲームでは自由斬撃の斬る行為の快楽と、ヒト(サイボーグ)を切るという人道的な嫌な残り香が同居しています。
明示されているシーンとしては、敵の心の声が聞こえてくるシーンや活人剣と殺人剣を語るシーンなど。
プレイ内の演出としては四肢切断しても体だけで這いずってくる敵がいたりする後味の悪さ。

この敵の心の声が聞こえてくる演出はうろ覚えですが、ベルセルクなんかでもやられていましたね。
「俺には家族がいるのに…」「ただの仕事だったはずなのに…」と罪悪感を煽り立てるってやつです。

また、活人剣と殺人剣については、その両方は裏表の関係であり、目的が外部にあるのか内部にあるのかの違いだという話です。
何かをなすために殺すのか、殺す行為そのものが目的なのか。
この手の話自体はそれほど珍しいものではありません。
るろうに剣心を例にあげずとも、古今東西ずっと存在している話です。
ただ、これってゲームだから意味がある問いかけだと思います。
ゲームってどこまでいったって娯楽なんですよね。間違いなく。
何かをなすためにゲームをするっていうパターンは存在しない。
殺人=ゲームをプレイすることに直結します。
つまりプレイヤーからすると殺人剣でしかありえない。
あえて考えないけれどもよく考えるとジワッとくる気持ち悪さ。
なんでヒトを斬るゲームを選んで嬉々としてプレイしてしまうのか。

これらは桜井さんが『ゲームについて思うこと』シリーズでおっしゃっていた、プレイヤーに罪悪感を抱かせるのはいかがなものか、という問いかけに対しての答えにも見えます。
斬るのって気持ちいいだろ?
そのアクションの快感を否定しても仕方ないじゃん、と。
行為に対する意味に自覚的になりながらそれでもゲーム続けたい、と。
罪悪感を見せつつも、主人公に乗り越えさせるというストーリーラインを経て、斬ることに感じてしまう楽しさとゲームの本能的な楽しさが、雷電とプレイヤーの感情が一致するのかなぁと。
そういう意味でも仕方がなくヒトを斬らなければならないシーンはムービーじゃなくてちゃんと斬らせてほしかったな。

 

 

今作は残念ながら他のレビューでも散々言われているようにシナリオの一部では正直なところがっかりな点もありました。
しかし、それを置いても余りあるぐらい、バッサリ感が気持よく本能的に気持ちのよいゲームプレイを呼び起こす良作だったかと思います。

 

とまぁこんなところでー